円堂守という人物価値の定義について


朝、部活後の軽食を買う為に立ち寄ったコンビニで円堂は不意に足を止めた。
中学生の彼には、見分けがつかない程あるスポーツ紙の一面。他愛もない記事。
しかし、そこにある文字を小さく口に出して、円堂は思わずバンダナに触れた。
それは、ずっと自分が背を向けてきたことだった。しかし、いずれ確かに向き合わなければならない問題でもあったのだ。
手にした焼きそばパンとおにぎりを、レジに持って行かなければと無理矢理体を動かす。
そんな自分を、ぼんやりとどこか不自然だが、見下ろす自分を感じていた。

そのことに拍車を掛けるように、その日の数学では先日行われたテストが返却された。それは決して良い出来ではなく、教師の言葉に笑って見せたが、心では完全に今朝の新聞のことばかりを考えていた。


「サッカーだけじゃなく、勉強も頑張れよ」


サッカーと自分。
切り離されることのない他人からの評価。
サッカーをしている自分と、していない自分との間にある深い溝。
サッカーをしている円堂は素晴らしい評価を受けていると、自分自身微かにだが自覚はしていた。しかし、自分からサッカーを抜いた時何が残るのか。それが見えてこない。
サッカーをしている円堂守ではなく、ただの円堂守の価値はどこにあるのか。
その問題に背を向けていた円堂を現実に引きずり込んだのは、有名プレイヤーの引退の報道だった。

その日初めて、円堂は部活を仮病で休んでしまった。






チャイムが鳴る。
暫くして、階段の軋む音。
一人のものではないそれは、円堂の部屋の前で止まった。
仮病で布団に寝ていた円堂は、眉を寄せて耳を澄ます。扉が開いた音と共に、よく知った声が響いた。


「起きてる?」


赤い髪の少年。
病的にまで白い肌に、細身の少年の声だ。


「起きてるよ」


母が既に去ったことを確認し、円堂は体を起こした。案の定、そこには居る筈のない彼がぎこちなく立っていた。


「たまたま近くに来たら、部活風邪で休んだって聞いて……お見舞いに」
「ありがとう……」
「具合どう? 病院は?」
「んー」


曖昧な返事をして、円堂はヒロトに向かい合った。未だ立っているヒロトは、首を傾げて円堂を見る。


「ヒロトはさ、サッカー止めたくなったりとかしたことあるか?」
「えっ……うーん……俺のサッカーは皆と違うから……父さんの手伝いが生き甲斐だった時、父さんの望みがサッカーだったから」


もしかして円堂くん、止めたいの?
普通なら聞けないような質問を、ヒロトはさらりと言った。


「止めたいわけじゃないさ。ただ、何となく」
「そっか。まあ、止めたくなったら止めてもいいんじゃないかな」


円堂は目を丸くした。
ちょっとコンビニ行ってくるとでも言うかのように、さりげなく出た言葉。他の誰にも言えない言葉。


「サッカーのために生きるより、自分のためにサッカーしないと。本末転倒っていうのかな……楽しいからやるって、凄くシンプルで大切なこと」


ヒロトは小さく微笑みを見せ、円堂は思わずドキリとする。


「教えてくれたのは君だよ、円堂くん」


自己と自我の評価と意味の曖昧なバランス。
彼はそれを知っていた。そして、それを助けたのは自分だと言った。


「円堂くんは俺の恩人だよ」


サッカーとは違う、自分の評価――価値。
彼の傍なら感じられるから。


「ヒロト――」
「うん」
「俺――俺は、円堂守は……」
「うん」
「サッカーしてなくても、生きているんだよな……っ」
「うん」


ヒロトを抱きしめて、背中を優しく撫でる手を感じて。相槌をうつ彼の声を聞きながら、自分を引き寄せる。自己と自我を。


「円堂くんがここに居ること、俺は知ってるから」


差し込む夕日の光が、一つになった二人の影を伸ばす。
明日からはサボらず部活に出よう。円堂はそう思ってヒロトの頬に触れて瞳を閉じた。





fin.