(嗚呼なんて、醜い私)


五月も半ば。春の陽気は徐々に熱を帯び、湿度を増していく。
それでも、の心は相変わらずの春と反対に真冬の様で彼女自身を締め付けた。
一生を賭けた恋というのは、そういうものだ。
というのも、は親同士が決めた許婚を心から愛していたから。

真田弦一郎。今の世の中には珍しい、硬派な人だ。幼い頃から彼の影響を受けてきたも、やはり同じような節がある。
が、だからこその心は曇るのだ。
いつか、彼に自分より大切な人が出来た時。は、彼を許せるのだろうか。


さん」

は誰かに呼ばれてハッとした。
日は延びて、空の明るさで時間を測るのは難しい。時計を見れば、五時半を指していた。そろそろ真田も部活が終わるだろう。


さん」


自分を呼んだ誰かは、再びを呼んだ。
声からして男子だろう。顔を向ければ、大分近くに彼は立っていた。見知らぬ生徒だった。


さん、女テニ休みなのにこんな時間まで何してたの?」
「いえ……特には」
「ふーん、あのさ」


と真田の関係を知るのは限られた人物だけ。器量の良い彼女に想いを寄せる人物は少なくなかった。


「俺、さんの事すっげー好きなんだよね」


放課後の教室、二人だけ。
こんなシチュエーションを逃す程、この男子は馬鹿ではなかったらしい。
だが、はいつもと変わらぬふわりとした笑顔のままぴしゃりと言った。


「私は貴方の事を存じませんし、第一に私には永く想う方が居ます」
「え、嘘だろ?! そんなそぶりねーじゃん!! あ、片思いとか?! だったら……」


その言葉に、は凍り付いた。
硬派な人だ。真田はそう易々とへの気持ちを口にはしない。
もしかしたらこれは自分の片思いではないのか。許婚という立場に酔って、驕っているのは自分だけではないのか。そんな恐怖がの中を駆け抜けた。


「だったらそんな相手、俺が忘れさせてやるよ! だから俺にしとけって!」


は肩を捕まれ、窓に背中が当たった。
ふと見れば、真田に近寄る女子生徒。二人は校舎の影に隠れて、の視界から消えた。


「なあ、よそ見してんなよ!」


パンッという音。男子の掌との頬がぶつかった音。
咄嗟の行動に、男子自身驚いていた。
それでも、の瞳は外に向いていた。


「あ、ごめん……」
「……や、です……」
「え?」
「いやです、私! あの人を失うわけにはいかないの!!」


それは誰に向けられた言葉でなく、自分自身に。
醜い感情。は目の前の男子を突き飛ばすと走り出した。





は校舎裏に辿りつく。
すぐ角を曲がれば、真田と女子生徒が居る。
微かに聞こえる声を拾いながら、は罪悪感に飲まれていた。


「私、真田先輩の事が好きです!」


こんな、出歯亀。真田が知ったらどんな顔をするだろう。
の頬がドクンと痛んだ。
真田の返答を待つ。頬と同じく、もっと激しく鼓動が鳴る。


「すまない、俺には一生を賭けて護らねばならない人が居る」
「そ、それは……それは誰ですか? 私の知っている人ですか?!」
「恐らくな。3年の、名をという」


暖かな笑顔。
の頬を涙が伝う。
どうして彼の気持ちを疑ったりしたのか。自分を恥じた。


「そう、ですか……」


お似合いですね。そう言い残すと、女子生徒は去って行った。
ザッ、と足音がしてが肩を跳ね上げる。


……どうして泣いて……」
「弦一郎さん……私……」


謝罪の事を繰り返すに、戸惑う真田。
真っ赤な顔で涙を流し、自分に謝る彼女を心から愛しく想う。だが直後、真田の目はの頬を凝視した。


「ごめんなさい、一瞬でも疑ったりして」
「そんなことは構わない。だが、この傷は……」


そっと触れる大きな手。
涙を拭いながら添える。


「あ……先程、男子の方を怒らせてしまって」
「…………」


不満そうな表情を浮かべ、真田が口を寄せた。
少し腫れた頬に舌を這わせば、の顔は更に赤く染まった。


「どのような形であれ、お前に誰かが触れたと思うと気に喰わない……」


ぽつりと呟いた真田の顔も赤く、だがそれ以上に真剣だった。
は申し訳なさそうに怖ず怖ずと唇を開いて、真田を見上げた。


「あの……お、お誕生日おめでとう、ございます……それで、あの……」
「なんだ?」


は自身の心音に緊張をする。
伝える言葉。幾度も心で復唱してきたではないか。


「わ、私を……貰ってくれますか……?」


恥ずかしさのあまり、ふるふると震える
逃げ出そうとした彼女の肩を、真田が捕まえた。


「すいません! 私、なんておこがましい事を……貴方の迷惑も考えずに、自惚れて……」
……」
「許婚だなんて立場に酔って、私……なんて醜い!! 先程だって、弦一郎さんが誰かの元へ行ってしまわれるのではないかと嫉妬して……ごめんなさい、弦一郎さん……」
!」


恥ずかしくて、怖くて、苦しくて。
それでも、この想いは止まらない。


「お前がどんなに自分を罵っても、俺の気持ちは変わらぬ。生まれてからずっと、お前を想っていた……お前と結ばれるために生まれてきた。それなのに、何を今更」


再確認する、固い誓い。
互いの顔は今までにない位赤く。なんて、愛しい。


「俺も……が、欲しい……」


見つめ続け、追い続けた背中が時折振り返っては、ぎこちない笑顔で手を延ばす。
引き寄せて、口付けを。

生まれた時から世界は貴方。




fin.
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